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 よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!

   * **身近な日常における命の度合いの差*** 

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暑中お見舞い申し上げます。<(_ _)>

 

ご無沙汰しておりましたが、お元気ですか。

猛暑の中、緑陰や水辺を求めて、

石神井公園へ元気な子供達と一緒に行って参りました。

午前中で人も疎らでしたが、水辺や緑陰を抜ける涼風が気持ち良く、

オニヤンマやセミの抜け殻を探したりする内に、

カブトムシとも出会いました。

輝く子供達の笑顔と親達も含めての辺り一体がひとつになり、

至福の時でした。

続けて、久方ぶりに「トトロ」もテレビで観て懐かしく、

改めて、神木のみではなく、

煤にも命、Lifeが宿るアニミズムの世界に浸りました。

 

カラカラに萎れそうなところ、こうした滋養となる体験から、

また、ヒューマニティ、人間性が満たされたようで元気が沸き、

メルマガを続けましょう〜♪と・・・。

+..++..++..++..++♪゜+..+゜♪゜+..+゜♪ 

今回は、

アニミズムのようですが、二者択一、あるいは複数の中で、

「どちらに、より生き生きした命が宿るか」

「どちらが、より確りとした関係性の中に在るか」

という感じを確かめ分かち合う事を、ご紹介致します。

The Nature of Order T」のP.64からP.71と、

次回の、内なる自然との関係を確かめる二者択一ですが、

同じくP.314からP.324までの抜粋、抄訳です。

「身近な日常における命の度合いの差」と、

「己の心に響くものは」です。

 

やはり、古代からのアニミズムというだけではなく、

C・アレグザンダーは科学的に解き明かす態度で、

計量化とまではいかずとも、命の度合いを比べています。

それは、同じようなインクのシミでも、

違いが観て感じられるものなのです。

それを私達の実生活の場で、具体的な場所や物で比較しています。

 

「第一章で記述している「生きている」という質は、

生物学的質を超えて、

どういう意味を示しているのか、

それは、全ての物質体系における一般的な特質で、

空間の全ての部分においてその度合いが、

多様となっている」とアレグザンダーは説き始めています。

(どうぞ、詳細はこちらでご覧ください。↓

            http://www.natureoforder.com/

The Nature of Order T」、2巻〜4巻のご購入をお勧め致します。(=^.^=)

 

「この章では、様々な度合いで、どんな空間にでも起きている、

殆ど、私達、読者の誰でもが知覚する、質であると、

説きたいのです。・・・この質は、本当なのです。

私が意味するのは、空間の如何なる異なる部分でも、

観察できる命の度合いの差異は、単に、私達の認識の産物ではなくて、

私達の認識が探知する、空間における、

客観的な本当の物理現象なのです。

 この質は、単に美しいものと醜いものの間の区別ではないのです。

身近かな場所で、普通の出来事において、

世界中の隅々で、微妙な区別として、探知できるものです。

場所から場所へ、その一瞬から次の一瞬で、全ての場所における全ての瞬間で、

様々にその度合いが変化する質なのです。

 

 以下の一連の対になっている写真は、その命に関係している度合いの違いを、

貴方が比較できるものです。最初(左)が、より生きていて、

後(右)のが、より死んでいる方です。」

 

「 貧乏生活の中で:一方はより生き生きと、他方はより死んでいる」

ドミニカ島の雨宿りのシーンの方が、ハーレムの荒廃地よりも生きているのです。

 

「樹木のある郊外道路と、信号機のある郊外道路」

 

「丘陵に優しい道路と、丘陵を切り貫く道路」

「この例は、明らかです。

それらの2枚の写真において感じられる命、ライフの違いは、

地盤についての正確な生物学的概念を表現していて、より生きている有機体である

樹木のある方を、明白により生きていると感じるからに違いないのです。

けれども、別の例における命の度合いは、生きている有機体の質に依存するばかり

ではないのです。それら2枚の写真における草や木々の相対的な質は、大体、同じです。

しかし、左の方は、丘陵により調和した関係をもった道路です。そして、

より大きな命の度合いは、この調和から起きて来ているのです。

右の方は、よりこわばっていて、より粗野です。

左の方は、丘陵に優しく感じられて、貴方は、より丘陵という自然に気づくのです。

運転も、より楽しくなるのです。」

「林の中の道路と、丘陵地の道路」

「今度は、少し難しい一対です。左の方は、樹木や光や影が多い中の道路です。

それは、より命、ライフがあると見られます。他方は、乾いた草地にある道路です。

この場合、知的な判断は、どちらがより命があるかと言うのを妨げます。

第一に、それは明白です。木々の多い左の方が、より命があるのです。

しかし、若しも、貴方が、どうしてか自問するようになると・・・、

木々からの多くの草葉があるとどうなるかとか・・・迷ってしまいます。

しかしながら、若しも、2秒以内に、考える間もなく、一つを選択するとなれば、

貴方は樹木のある方を選択すると、私は信じます。

その感じ、フィーリングは明らかです。

ただ、貴方の直感を理論付ける骨折りが、貴方を困惑させるのです。

左の方が、陰影、明暗を持っていることで、

その命の度合いがより大きくなっていると、私は信じます。」

「厩の内と、厩の外」

「共に騎馬の厩という場所で、備品や、バー、フェンスや人が写っています。

しかし、一方は、馬を見ている人に主に焦点が当てられているにも拘らず、

一種の死を持つ空白にあります。納屋内は、暗いにも拘らず、より心地良い質を持ち、

こわばっていないのです。この1対における微妙な質について、

注意深く明らかになるまで、

私達のフィーリングに問わなければならないかもしれません。

「フレンドリーな家の境と、フレンドリーではない家の境」

「この場合は、おそらく、多くの細部があり、花鉢、変化や、心地良い完成ということが、

左の場所に、より命をもたらしているのです。この変化は、右の家の方には、殆ど欠いています。

左の方は、それにより注意深いです。それは、より繊細な特性です。

おそらく、このより繊細な特性自体が、より命があると感じることに責務を果たしているのです。」

「普通の運搬車と、オーガニックに塗装した車」

「「ファンキーでオーガニック(可笑しくて有機的)」なイメージは、

いつもより命を持つものとは限らないのです。カリフォルニアからの塗装された車の例は、

命を象徴しているように見えて、不注意な読者によって、

より生き生きとしていると選ばれるかもしれません。

しかし、実際、貴方自身に、どちらがより命もっているか問うたなら、

貴方自身の命により接するのはどちらかと問うたなら、

毎日の生活における出来事と関係しているより真実なのは、

貴方は、より偽りのない、より関係している、普通の運搬車を選ぶことでしょう。

 オーガニックに塗られた車は、実際の生活とのつながりよりも、イメージが勝っています。

普通の運搬車は、触発されることは無いですが、より本当に生きているのです。」

「二つのカリフォルニア州立大内駐車場」

「この二つの例は、意図的に同じ様です。

共に大学校舎から16,7メートル以内に在ります。しかし、それらを見て、

またはそこに立って、どちらが、より命があるかと自問したら、

貴方自身の中で、より生きていると感じさせるのは、

おそらく、あなたは左の方を選ぶでしょう。

それは、不規則に駐車しているからでしょうか。または、

より小さな建物に導かれるより小さなスケールの存在からでしょうか。

理由を確かめるのは難しいですが、微妙な事実が残ります。

右の方は、一列に並び、空間はより大き目で、より同質で、より私的さに欠けます。」

「鏡の中の少女と、広告のモデル」

「コニー・アイランドのマシーンの鏡に映る自身を見ている少女の写真が、

広告の写真でポーズをとっているモデルよりも、

より妙味を持ち、この瞬間に生きる喜びを持っていることに、

疑問はないでしょう。」

「二つのオフィス・ビルのロビー」

「これは興味深いケースです。驚くことに、より滑らかな一方は、より命があるのです。

左の方のロビーは、ほんの少しより床が磨かれていて、より滑らです。

その場所のこの輝きの質が、魅力的にして、そこを歩き抜けて行くと思うと貴方は高揚するのです。

右の方は、推薦する点が乏しく、人で満たされても、より眩しくて、フレンドリーではなく、

死んでいる感じで、命を欠いているのです。」

「古いフェンスと、新しいフェンス」

「より壊れている例の方が、より命があります。古いフェンスは、明らかに、より命を持っているのです。

風や傾斜地や水に適合して、経年劣化して、傾いています。

私達は、一目で、命は時を経て変わり行くものという事実を、ここで、把握するのです。

その微妙な変化や、適合が、私達がライフ、命として感じる何かの一部分なのです。」

「中心市街地内道路の二例」

「中心市街地内の二つの渋滞した道路で、メリーランドのアナポリスと、

アリゾナのTucson、タクソンです。

まだ、左のアナポリスの方が、探せば、他方よりもより命があります。

命の度合いは、良い悪いの状況に拘らず、事の良し悪しに拘らず、

いつも、そこにあるのです。」

 

「上海の二つの部分」

  

「大型建物で埋められていく中心市街地の二つの例ですが、

左の方が、まだ、いくらか活気に満ちていて、人間の物語の舞台として、

写真でも見て取れるハードな中で生きている強烈な命を持っていると、

感じます。

右の方は、ハードさが、より深くなり、より末期的で、不毛で、反復で麻痺しているようですが、

推測されるように、そこには、殆ど命が宿らないのです。」


と、アレグザンダーは、解かり易く説いています。

+..++..++..++..++♪゜+..+゜♪゜+..+゜♪

微妙な差ですが、気がつくとなるほどと、味わい深いものです。

そして、この差が見えてくれば、

身近なところで、何かを創る時、

具体的に景観を話題にし、議論する時に、

「何故、より生きているのか」、「何故、死んでしまっているのか」

歴史文化や風土、経済や法律など背景に在る知識の差は、

多かれ少なかれ個々にあるとしても、

或いは、その吸収力に差が合ったとしても、

実際に在る景観や、事物や、空間を見て、感じて、論じ、

共有できる感じ、感覚を養うことが出来て、

無理に合意形成しなくとも、当たり前に感じること、

「死んでる〜」「命ある〜」と共通認識となるのではないでしょうか。

+..++..++..++..++♪゜+..+゜♪゜+..+゜♪

最近盛んになっている「まち歩き」や、旅先で、

家族や友人達と過ごすシーズンですね。

そんな機会に話題となれば、ハッピーで〜す!

 

次回は「己の心に響くものは」です。

こちらは、内なる自然との関係を確かめる二者択一です。

どうぞお楽しみに〜〜〜(∩o∩)

それでは(*^^)/~~

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