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     よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう♪

    〜生きているプロセス:戸建て住宅改修の事例その2〜

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 暑中お見舞い申し上げます。

  朝顔の咲き加減と、

一息つけるような夕立後が楽しみな頃ですが、お元気ですか。
(*^o^*)

  ご無沙汰しております。

熊本地震で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

余震の後の本震や、継続的な余震や波及と、

常に想定外があり得ると自然の脅威を

感じつつ、逞しい人間の英知や営みに希望を持ち、

念じ祈り拝んでおります。


 また、国際社会の中、防災立国との定評が大切と、

一票を投じて参りました。

  今回は、引き続きまして実例をご紹介したいと思います。

やはり戸建て住宅の改修例から、15の幾何学的性質のいくつかもありますが、

「既存の(形態的)構造を保存して強化する」に着目し、

「少しずつ成長し続ける」「生きているプロセス」である、

息が吹いたと感じられる瞬間まで核心に迫っていく

センタリング・プロセスを掴んで頂く助けになれば嬉しいです。

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   誰でも可能な、その時点で適切な予算で、少しずつ段階的に、既存の構造を

保ちながら、強化してより良くしていく、

より健やかに生き続けられるように、光に向かうように最善の方向に進んでいく、

関係性を見渡しながら、核心を求めて、微かながら見出したらば、それを強化して、

その生命を強めていく、それは今後もずっと続く生きているプロセスです。

 例えば、郊外の住宅地の若い夫婦と子供二人の典型的な核家族が暮らすための

昭和
41年築の戸建て住宅の例です。

その家族の面々が生き続けるように、その住宅も生き続けているのですが、

定期的な外壁などの補修工事の他に、築後
10年で子供部屋を増築し、

平成2年にその子供部屋を外して増改築工事をし、平成22年に耐震補強工事をし、

そして、平成
28年春の断熱改修工事でした。

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 その時点で、最適解として、

様々な問題の解決策の結果が形となって、その家の個性になって来ているが、

昭和
41年当時は、旗竿型の敷地形状からの条件が厳しく、2メーターに満たない一間のみしか、

所有していた私道に接することが出来ず、敷地の両側の借地権の力に若夫婦は押されていた。

それでも夢見た持ち家での生活に期待して、上棟式後、周囲を見ながら敷地内の建物の配置を、

歩いて認識できると、リビングの広さは保ちながら、

押入を納戸にし、台所をダイニング・キッチンへと、

やたら下屋が多い建物形状となった。

 それから
10年後には、子供部屋の一つが通り抜けで独立性が欠如していた為、

ベランダ部分を縮小して子供部屋が増築された。

その後、在宅時間が長い主婦の喘息症状の悪化から、転地療養も検討しながら、

旗竿型の敷地形状を完全ではなくとも、不健康にならないように解決し、平成2年には

増築した劣悪な構造の子供部屋を撤去し、敷地の接道条件を満たしたことから「誓約書」を用意して、

建築確認済証を受けての増改築工事に到った。

 その当時は、シックハウス対策という言葉もなく、

防蟻剤の選択肢もなく、「柿渋」で木部を保護し、

通気性を重視し、埃が舞うカーテンは避けて内障子にし、開口部が多く、

茶道教室や琉球紅型の染め物作品である反物が干せる長さを確保する為、

壁の少ない増築部分を持つ、旗竿型の敷地に沿ったL型の建物形状となった。

 平成717日の阪神大震災後、首都直下型地震に備えて、

強力な引寄せ機能のある柱・土台・基礎と接合強化する金物を取り付けたが、

その後、隣地が大江戸線地下鉄工事の資材置き場となり、

建物の
4分の1が空井戸に掛かって、不同沈下しているのではと懸念し、

平成
20年頃に耐震補強工事を計画し始めて、翌々年22年の工事となった。

計画から工事まで時間が掛かったが、家族内の合意形成が得られず、

同じ家族内でも、死生観、価値観の相違が相当大きいと思い知らされる経験となった。

大きくはないがL字型の建物形状で、偏りのある建物であり、

工事に反対する家族の部屋や生活空間は除外し補強して、

ギリギリ「一応倒壊しない建物」レベルとなった。

 平成23311日の東日本大震災時、練馬区の震度5強では問題なくとも、

震度6以上であったらどうかと悩み続けながら、

昭和
41年からの木製建具は50年間近く頑張っていたので古びて愛着も沸いていたが、

40
年近く開閉していない雨戸の戸袋内の痛みや、風でガタガタと音を立てる薄い型ガラスを見て、

防火性能や断熱性能を高める必要性を強く感じていた。


 一方で、屋内外からの眺めから、

  

平成
2年増築部分の木製格子建具周囲は住まい手方に気に入られていたので、

それらを持たせる劣化防止策を、風雨に曝されるところと、日陰や緑陰となる部分とに分けて検討していた。



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 昭和41年(1966年)から平成28年(2016年)までの50年間で、

建築基準法上でも、耐震に関わる構造項目や、耐火構造・防火性能・不燃材料と、

都市計画上の用途や密度からの、不燃化基準、準防火地域からの基準や、

石油ショックからの省エネ政策や、

職住分離や少子高齢化から強化・更新を望まれる地縁社会と新しい公の意識からのまちづくり、

地球温暖化問題からの生活作法や必要とされる断熱性能や緑化、

情報化時代の生活に必要な設備の設置範囲の検討など、住環境も生き続けており、

当然ながら昭和
41年で固定されている訳ではない。

全て変わっていくようだが、その中で、時間を超えた質は何かと求め続けて来た。

飛騨高山の集落群と時代や場所や生業、自然との関係性は異なっても、

何らかの規制や厳しい条件の中で、間違えれば家族の命に関わり家の栄枯盛衰につながりかねない、

近隣が変わり、法規も変遷し、不適格の部分がどこかに在り続けることになっても、

経年変化からの劣化を防ぎ、

樹木で延焼を防ごうと必死で生きている人間の住処であることに変わりがないと、

鳥の目と蟻の目で感じるのであった。

そして、次の段階で強化する部分を検討し続け、タイミング良く実現できるようにと準備を開始しながら、

生きているプロセスの中で、生きていると実感し、ストレスから解放されている。

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1階 2階

 平成28年春の改修工事は完了したばかりだが、

やはり限られた予算の中で、出来るだけ現行の法規に近づけて、

防火性能の向上を図り、近い将来も見据えて断熱性能や、耐震性能も高めて、

家族構成の状況に合わせて、建具や内装を更新していくのは、

その建物の既存の形態的構造を壊すことなく保持して、

より強化していくことであることが、その意識があってこそだが、再認識される機会となった。

 例えば、建物正面を前面道路から見上げると、

形態的に、出窓状の下屋の庇と切妻屋根との間が空き過ぎていると感じられて、

妙に額が大き過ぎる、あるいは、

帽子をかぶるというよりは乗っかっているだけのような納まりの不十分なしっくりとしない感じがあった。

他方で、準防火地域内のため延焼の恐れがある部分のため、

木製格子窓の防火性能の問題と風雨に曝されて経年劣化の心配があった。

 

 

それでも、キャプテンルームの弧を描いた欄間窓からの刻々とした月の眺めと共に、

木製格子窓は捨て難く変え難いこの建物の資質を形成して、核、センターになっていて、

建物主のもののみではなく、

夜には、航海中のランタンのように灯る窓全面は、近隣のものともなっていたことが、

工事中に強く感じられた。

個々の建物、景観が変わることについて強い関心や抵抗や懸念をもつ近隣から、

少々、大袈裟だが日本もルネッサンス期のイタリア都市のようになってきたかと。

それに応えて、同じものを入れ替えるのは防火性能を高め、

劣化防止を図るという問題解決には不十分で、

式年遷宮のように
20年毎に更新するのは非現実的であった。
  

 
  

 

 

 そこで、木製サッシの可能性を検討した後、

既存の弧を描く欄間窓と、格子建具を保持することが、

既存の構造を生かして保持して、より強化する方向として間違いないと、

最適解と判断した。

 そして思い起こしたのが、当方の修行の初期であった
30年近く前に、

卒業後、しばらく計画図した身近になかったので、ドローイングのチェックとして、

それと知らされるまで「これは何だろう」と得体の知れないカーブを描いたが、

シャッターの巻き、ドラムのカーブであった。

それが「横引シャッター」との出会いであったが、その「横引シャッター」に救われることとなった。

しかし、防火シャッターの認定条件通りとすることと、

既存の形態的構造を保存することとは相反する中で、

匠のセンターとなっている松本巧舎による建築工事である板金工事と、

欄間用シャッターと出窓用シャッターの上下二つの鉄製ボックスを一つに覆う木製戸袋は、

工業生産品との違和感を既存の形態的全体性に馴染ませ調和させる木工事や塗装工事は必須であり、

単に優れたメーカー製品を取り付けるのみではなく、

既存の構造を保持してより強化するために融合させ、溶け込ませるのに、スタディを重ねた。

そして、彫りの深い正面の凹凸を形成する欄間用のシャッターと出窓用のシャッターを、

一つにまとめて全体性に貢献できるように、下段の方に帯を描くという最後の一筆により、

門と庭の樹木と建物と全てが一体になり、息が吹いたと感じられた。



緑青色の銅板と木部塗装の色も深く、風雨に耐え続けて行く覚悟を据えて、

横引シャッターのボリュームに合わせた庇によって、

間が抜けた切妻屋根との間も丁度良く感じられて、

先住者である敬愛するカエル一族にも喜ばれて、

微笑んでいる空間になってハッピー!








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 いかがでしたでしょうか。

誰でも、どこでも、意識さえ持てば、微笑み空間をつくれるのです。

自然災害に立ち向かう備えをしながらも、癒されて養われる、

生きるエネルギーを育む微笑み空間づくりを楽しみましょう。

どうぞ、次回をお楽しみに〜(∩o∩)ノ

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